2024年3月25日月曜日

 美術館は4月1日の春のオープンまで休館中です。

美術館の南側の庭に「果樹園」を作る計画を進めていました。まず3月13日に「枝垂れ桜」の2、5メートルの苗を後藤樹木園の後藤氏に植えてもらって、これを中心に9メートルの正方形に果樹園を作ることにしました。

「枝垂れ桜」は北海道の函館の法亀寺に樹齢300年の12メートルの大木が毎年華やかに咲き誇っています。法亀寺の函館は美術館の気温より年間を通して3〜4度は低く「枝垂れ桜」の成長が美術館でも十分に可能であるという心強い300歳の先輩です。

この数年、美術館の近辺には鹿が多く、夕方にはもの悲しい彼らの鳴き声(奇妙で寂寥に満ちた声です)を聞いたり姿を見ることもしばしばです。樹木の若い芽は鹿の大好物なので、「果樹園」にはこの鹿に入られないようにフェンスを作ることが是非必要です。

フェンスは塩ビパイプの支柱を斜めの補強も加えながら1メートルおきに立てました。支柱は30センチの深さに地面に埋める為に、ニューヨークから持ち帰ったコンクリ掘削用の強力ドリルとビットを使いました。塩ビパイプはプレスドリルで細い穴を開けて針金でパイプ同士を結ぶことが出来ます。機械があるので作業はスムースに進みました。最後に農協で買った動物防護用の緑色の網を支柱に取り付けました。これらのフェンス製作の作業は美術館の少年隊の(敬称略)村田、西村、宇井、串山、岡本と少女隊代表で頭脳、知力と体力にすぐれた斉藤さん(敬称付き)の面々が2、3日であっという間に完成させました。このメンバーなら不可能はないという最強メンバーです。

9メートル四方の果樹園の完成後に中央の「枝垂れ桜」を取り巻くように「花桃」や「梅」の苗を4本植えました。300年後が楽しみです。

天気も晴天が続いた幸運は、阿蘇の野山や流れる白雲が気を利かせてくれた様です。(撮影・編集:岡本)

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2024年3月24日日曜日

美術館は4月1日の春のオープンまで休館中です。

3月15日に 一般財団法人・岡本陸郎美術館は春の総会を行いました。理事6人、評議員6人、監事2人が正式に就任しました。

美術館は2006年のオープン以来18年目になろうとしています。真の芸術とは「面白く、斬新、柔軟でパワーに満ち、強靭なものである」を一般の人々に広く理解を深める為に、日本に唯一の非営利の文化事業として開館を続けています。数百年の単位での難事業ですが、気持ちの通った人々と、1000メートルの高原の爽風と、雄大な阿蘇の雲海に支えられてこれからも静謐のうちに確実に歩み、年を重ねて行きます。

新倉庫の完成した美術館のドローン空撮はプロの山口和則氏によります。また、展示室内撮影と編集は岡本です。

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2024年3月21日木曜日

 美術館は4月1日に春のオープンをします。

オープンの種々の準備のために3月17日まで滞在して、ニューヨークに戻っています。毎日忙しい滞在でしたが、充実した日々でした。

15日には一般財団法人・岡本陸郎美術館の総会を行い、12日には監視カメラの数を全部で7台に増やして設置し、14日から16日にかけて南側の庭に9メートル四方の果樹園のフェンスを作成し完成させました。これら全てはありがたいことに多くの親しい人たちの尽力によって行うことが出来ました。

ニューヨークから送っていた作品の梱包箱2個は3月11日に到着し、トラックからクレーンで下ろして、梶原氏、手嶋さん夫妻、串山氏、岡本の5人で新倉庫に運び込みました。搬送用の新たなコンクリート斜面道を台車に乗せてかなり容易に楽しく運ぶことが出来ました。(撮影・編集:岡本)

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2024年3月11日月曜日

 美術館の春のオープンの準備のために一昨日から滞在しています。

ニューヨークは春の暖かさが近くなっていますが、雪の日にはスズメたちも寒さに50羽ほども朝飯のパンをもらおうと集まって来ます。

自宅のビルの管理人のテレルは「Dancing People」の作品に自分も参加したいと僕の仕事場でおどけて踊ってみせました。あらゆる人間を踊らせて、バカな苦悩に満ちた人間界を放擲したいと、戯画の世界をこれからも描いて行きます。

ニューヨークから羽田には午前5時に到着し、機上カメラにまだ真っ暗な滑走路に光る誘導照明に沿って、飛行機は綺麗に水平を保って無事着陸しました。着陸は毎回緊張の一瞬です。全行程ほとんど24時間の国際線と国内線の長旅を終えて、やっと待望の温泉で旅の埃を暖かい湯水が流し去ってくれました。

標高1000メートルの高原の美術館の静かな庭には春の気配の新芽が広がっています。見かけることの少ない珍しい「ジョウビタキ」のメスが一人で飛び回っていました。長旅をやって来た甲斐がある楽しい風景です。ジョウビタキはチベットやバイカル湖から長旅をして日本にやって来ます。鳴き声がカツカツカツカツと火打ち石を叩いて火を起こして火焚きヒタキをしているように聞こえることから命名されているということですから、太古の物語の鷹揚さがその柔らかな姿にも感じられます。(撮影・編集: 岡本)

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2024年3月6日水曜日

 美術館は4月1日の春のオープンまで冬季休館中です。

春のオープンに合わせて「ふるさと」の連作に今年も6点の新作を加えて展示します。「ふるさと」は2006年の美術館の開館以来制作を続け、目下96点になっています。これからも増えて行きます。

美術館のホームページを担当してもらっている梶原氏が「ふるさと」のページ

http//www.rikurookamotomuseum.com/hometown.htm

に今年の6点の新作を加えて載せてくれています。

将来は元気健康が続く限り200点、300点の制作を目指しています。

(HP制作:梶原氏  編集:岡本)

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2024年1月17日水曜日

 4月1日の春のオープンまで休館中の美術館を、プロ写真家の梶原氏が写真を撮って送ってくれました。雲ひとつない阿蘇の青空が広がって、モミジの若い並木が春はまだかと待ち構えています。(撮影:梶原氏  編集:岡本)

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2024年1月3日水曜日

美術館は4月1日の春のオープンまで休館中です。最近の日本の安全神話は相当グラついていますが、24時間監視カメラが作動しているので大丈夫です。

ニューヨークは日本に14時間遅れて2024年の新年を迎えています。

年末、元旦の雑煮の和風を楽しみながら、365日一定のペースでの制作を半世紀以上続けています。人間界に第3次世界大戦が始まってもこのペースは変わらないでしょう。

ムクは14才になり、健康ですが全盲になっています。それでも腕の輪やフラフープの輪のジャンプをして往復する のを今でも楽しみにして、ジャンプも地面に近くどんどん低くなっていますが、盲目の天才ぶりを毎日見せてくれます。

犬用の乳母車で毎日ドッグランへ行きます。途中の道路の辻々や公園にはスズメたちが朝飯のパンを待っています。リスもヘーゼルナッツのドングリを手からもらって行きます。50年来の小さな野生の友人たちは、また日々の作品制作の応援支援部隊でもあります。公園から帰ってまた制作の静謐の日々を続けています。(撮影・編集:岡本)

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